フィリッピンの日々 その 五  戦争の傷跡

2008/08/12 10:17

 

 八月十五日が又やってくる。あの日から既に六十三年の月日が流れて今では戦争の爪あとも無くなってしまった。ゼロ戦の撃墜王、坂井さんが何かの本に書いていたが、今の小学生は日米が戦争した事も知らないと嘆いていた。
ここフィリッピンでは今でも戦時中の防空壕が街の崖に大きな口をあけて残っている。(今では倉庫として使われているが)、お年寄りは時々戦時中の怖かった話、日本兵との交流の話などを聞かせてくれる。ある人は日本兵から貰った大福もちを今でも忘れられないと懐かしそうに話していた。 しかし良い話ばかりではない、運竹斎の住む近くに寂れた村がある。そこの住民の多くは虐殺されたとの事友人曰く、「日本人はあの村に近づくな、今でも当時の住民の家族が残っている」と言う。 一方あれは日本兵がやっやったのでは無い。 朝鮮兵がやったのだ、日本兵は親切だったと慰めてくれるが、所詮根は同じ日本軍だ。

   リンガエン湾沖海戦の軍艦か?

ルソン島の北部にリンガエンと言う市がある。 其の隣の小さな市の市長を一期務めた友人が言うには、彼の管轄する市の沖に日本軍の軍艦が五隻沈んでいる。市の住民が見つけてこれを解体して鉄屑として売り払いたいと言ってきた。 しかし彼は市長の権限でそれを阻止し取り敢えず日本大使館に連絡した、が 日本大使館からは何の連絡も無いとの事。あれから一年半も経ったので其の後なんか連絡はあったと思うが、日本から遺骨、遺品収拾団が来たと言う話は聞いていない。 彼の市長は運竹斎に、何とかしてくれと言ってきたが、既に大使館に連絡したのなら非力の小輩にそれ以上何が出来よう、既に遺骨遺品の収集が終わっているならば、貧乏なフィリッピン人の生活の資にして貰うのも一つの選ぶ道かもしれない、今は鉄が高いから。
   或いは日本の資力でそのまま残して海底に戦争の悲劇を繰り返さない様ダイビングスポットとして保存する手もあるかな、と考える次第。
   五隻の軍艦は今でも海面下三十メートルの所に横たわっているはず。 この戦闘の遺族の方、或いは戦史に興味のある方は一度調べてみて下さい。

    お化け屋敷 - 日本兵のお化けです

   マニラの南約百キロの処にリパ市という街がある。
標高五百メートルの高地で非常に住みやすい。 近くにはタイサン(泰山)、タンボ(田圃) と言った日本の地名のような街がある。 戦時中ここには陸軍の気象班が駐屯していたらしい。このリパに住む友人のジェリーが真剣な顔をして運竹斎の処に来て、「頼みがある」と言う。 これはてっきり又金を貸してくれと言いに来たのだろうと思って身構えた。 話を聞いてみると、 彼の貸家に時々日本兵のお化けが出るので何とかしてくれと言う。 確かに小輩は日本人だがお化けに友人は居ないし、お化けと話をする術も知らない。 よくよく話を聞いてみると、彼の持ち家はオジイサンが戦前建てたもので、戦時中は陸軍が借り受けて日本兵が住んでいたと言う。そして今は代も変わってジェリーが管理しているのだが、 貸家は街の中で立地もいいし借りては直ぐ見つかるのだがどういう訳か借り手が付くと直ぐ出て行ってしまう。 ある時、何故直ぐ出て行くのか尋ねたところ、「この家には日本兵のお化けが出る」 と言う。夜戸口の所に立っていたり、夜中家の中を歩き回ってうるさかったりして気味が悪いとの事。と言われても、運竹斎荷は打つ手は無い。
  これと似た話は以前サイパンに駐在していた時、経験したり、聞いたことがある。
  サイパンで運竹斎の経験したのは二回ある、ある夜中家の周りを兵隊がザック、ザックと軍靴の音をたてて行進するのだが暫くすると止んでしまった。未だ赴任したばかりで、なんか変な夢を見たんだな、と思って又寝てしまった。もう一つは二階の寝室で夜中寝ているベッドの足元に一人の兵隊が立ってジッとこちらを見つめているのだ、 「貴様誰だ?」と誰何すると其の兵隊は音も無く閉まっている二階のガラス戸を通過して表のテラスに出て消えてしまった。 
  フィリッピンでも同じことが有るのかと不思議な気がする。 何れにしろ運竹斎は幽霊、お化けの類は信じないのだが今でもあれは一体なんだったのだろうと思うことがある。
何方かお化けの退散のさせ方を知ってい居る方助けてください。因みに運竹斎は仏教徒ではないのでお経の一句も知りません 為念。

                    運竹斎

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フィリッピンの日々 その 四 - フィリッピンの英語

2008/08/05 10:14

 

日本では一時英会話ブームがバーストしたが最近はNOVAの問題の影響か、又下火になっているような感じがする。文科省も小学校から英語を取り入れると言っていたけれど、あれはどうなったのだろうか? 最近では余りニュースに出てこないが未だ続いているのだろうか? 英語はやはり世界の共通語(色々異見は有るだろうけど)の最たるものだし是非,英語教育を強化して欲しいと願っている。別に上手に喋れるようにならなくても構わない。相手の話を理解できてこちらの言いたい事が通じるようであれば十分だ。運竹斎もそうだけど、日本人は読み、書きに重点を置いて英語を勉強してきたきらいがある。 従って英語で書いたものを読みそれに対して書類で答える事には余り問題ないのだが会議や日常の会話ではどうしても一歩遅れをとってしまう。其の原因は英語は地域によってアクセントが異なり其のアクセントに付いて行けないのが原因ではないかと思う。アメリカを例にとっても西海岸の英語と東海岸、西部英語、南部英語と色々アクセントが異なる。日本で勉強した人に一番聞きやすいのは東部の英語ではないだろうか。西部英語では All と Oil が同じ発音に聞こえてしまう。 これが世界の英語圏となると又別のアクセント(発音)になる、オーストラリア、ニュージーランド英語はご存知のように A の発音が特徴的でアメリカ英語と異なる。 これはロンドン英語に近い、しかしロンドンに居るとロンドンの東南部に位置するサセックスの人の英語を聞く機会が多いが、この英語は又まったく別のアクセントでこれが エイゴ? と驚かされる。 しかしこれら違った英語を聞き分ける方法はある。それは英語の母音、子音の発音をしっかり学ぶ事だ。日本の英語教育ではこの課程が抜け落ちている。  日本語の子音は英語で言う子音(consonant)と母音(Vowel)の組み合わせで成り立っているので英語をカタカナ表記にすると最後にどうしても母音の発音が残ってしまう。 例えばGovernmentをカタカナ表記するとガバーメントと最後が ”To”の 発音となり、これが外国人には気になるらしい。 従って英語はカタカナで覚えるのは英語力のマイナスに繋がる。
正式に英語を学んだフィリッピン人の英語は非常に奇麗で解かり易い。それは幼稚園の段階でこの母音と子音の発音を徹底的に教え込むからだ。最近ではアメリカのCall Center(コールセンター) が続々とフィリッピンに設置されている。アメリカの SSS(年金) のCall Centerもフィリッピンに有る。だからアメリカの年金の問い合わせをするとフィリッピンに繋がる。中にはアメリカ英語の発音の下手な人も居て、電話の途中で「あなた何人」と聞くと「フィリッピン人です」 「何処に住んでいるの」 「マニラ」なんてやり取りをして楽しんでいる。アメリカのCall Centerは一時インドに多く設置されたがインドの英語は”R"のアクセントが強すぎて違和感があるらしい、それでフィリッピンに移されたと聞いている。殆どのアメリカ人は Call Center はアメリカにあると思っているらしい、それはアメリカは多民族国家なので少々英語の発音がおかしくても気にしないと言うお国柄でもあるからだ。
日本人は、英語は Native English を学ぶべきだなんて変なことを言っているが一体 Native English とは何処の英語をさして言っているのか、教えて欲しい、多分答えられる人は居ないだろう。 文科省の教育指針にもこの言葉が使われているが文科省のお役人は英語の何たるかを知っているのだろうか? 
これから英会話を学ぶ人は先ず母音、子音の発音を教える教室を探してそこから英会話を学んで欲しい。そうすれば何処の国の英語でも理解出来るEnglish Speakerになれると思う。英語を使って話す相手は何も英語をMother tongue(母国語) としている人とは限らない。
英会話教室でも母音、子音の発音を教える事の重要性を認識してもらいたいものだ。二歳からでもこの勉強は始められる、先生はフィリッピンからLicensed Teacherを呼べばよい。優秀な先生が沢山居るし日本から近い、安い、親切色々利点は有る。
運竹斎は語学の専門家ではないので文中に間違いが有るかも知れないが其の点はご容赦。
最後に笑えぬ笑い話を、 運竹斎の家内の伯父が以前当地の建設省の局長をやっていた時日本のJAICAから派遣された土木技師と食事をする機会があった。勿論伯父に呼ばれてだが。 伯父が真剣な顔をして 「お前、シーフードって知っているか?」 伯父は件の技師に今晩何を食べたいご馳走するから、と尋ねた時のことだ。 伯父の頭には「She
Hoodo] と言うスペルが浮かんだそうだ。 てっきり She=女 Hoodo=フード で伯父はフードを被った女が居る店即ちこれは其の手の店だと思い込んでしまった。 勿論正解はSea foods (海鮮料理)ですが、 カタカナで覚えた英語はこんなイタズラな会話を作り出します。                  
                    
                       運竹斎

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日韓の隔たり 歴史の真実。

2008/07/29 16:40

 

竹島問題を初めとして日韓の歴史認識に大きな差があるのは自分に不利な歴史の事実を認めようとしないからだ。現在の状況を作ったのは朝鮮の中国大陸に対する卑屈被奴隷外交の歴史によるものだ。 日本に対する敵対行為の始まりは1274年 と 1281年の二度に亘る元寇のお先棒担ぎに始まる。 当時は高麗という名前の国家だったが朝鮮であることには変わりは無い。 対馬、壱岐に上陸し虐待の限りを尽くし、其の後博多に上陸して大宰府を焼き払った。この暴虐に対して今に至るまで朝鮮は謝罪をしていない。
しかし、ときの鎌倉幕府は元寇を撃退した事で良しとしてなんら対応をしなかった。 それに怒った被害者は倭寇となって朝鮮半島の海岸地域のみならず内陸部迄荒らし回ったことは日本史をチョット齧った者なら頭の片隅に残っていると思う。この倭寇の為に高麗政府は国力を弱め李成桂によって其の座を奪われ、李朝が誕生したのだがこの李朝も倭寇による被害を棄てておけず倭寇征伐と称して1419年対馬を襲った、そして婦女子を陵辱し民家を焼き払い暴虐の限りを再び行った。 其のときの兵数は二万を超えていたとも言われている。しかし時の対馬の守護が寡兵でこれを十日で撃退した。これに対して李朝も高麗と同じく謝罪も、保障もしていないで今日に至っている。この李朝は長く其の政権を維持していたが、時が過ぎて明治になると世界情勢も急速に変化して欧米の極東進出が急になった、特にロシアの南下政策で朝鮮は其の標的にされていた。李朝は腐敗しきっていてロシアの南下を防ぐ手立ては無かった。もし朝鮮半島がロシアの手に落ちれば日本の危機であることは間違いない。其の先手を打って日本は朝鮮を植民地として日本が朝鮮に変わってロシアの南下を防がねばならなかった。もし李朝が健全な国家だったら日本も朝鮮を併合する必要が無く、ロシアも朝鮮を標的には出来なかっただろう。 これは偏に李氏朝鮮の腐敗がなせる業である。 もし日本の代わりにロシアが朝鮮を植民地としていたら今頃韓国北朝鮮と同じ運命をたどっていたと思う。 韓国は日本に対して数々の暴虐を行いそれに対してなんら謝罪も保障も無く、しかもロシアから守って貰った事に対して感謝するどころかそれに対して怒りをぶちまけている。 所詮、韓国と言う国、朝鮮人という人種は躾の悪い犬と同じである。もしものの道理がわかる韓国人が居ればこの歴史事実を明らかにして国民をわきまえさせる努力をするであろうが、それを期待する方が無理と言うもの?。
                      運竹斎

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フィリッピンの日々 その三 Know how と know who

2008/07/29 09:00

 

最近の日本のニュースを見ていると大分県の教員採用試験の不正が紙面を賑わしているが日本にも未だに賄賂を受け取って不正に試験の結果を捻じ曲げていた事には驚きを隠せない。 不正採用された教師に教わる子供が一番の被害者であろう。 しかしこの問題は大分県一県の問題ではなくほかの所でも大同小異である事は想像に難くない。この際徹底的に真相を解明し、口利きをした人間の悪を白日の下に曝け出し今後の糧にして貰いたい。 
フィリッピンは汚職天国と言われてから久しいが未だにその悪習は直らないし今後もなくならないだろうと思う。 何か行政に関わる届け出、申請などを行う際手順道理に申請書を提出しても一向に前に進まない。 いつ行っても申請した書類は机の書類の山の一番下にある。  ブツブツ文句を言うと横から分けの解からないオジサンが出てきて 「潤滑油が足りないんだよ」 親切ごかしに教えてくれる。 仕方が無いから何がしかの金を書類の間に挟んで再度提出すると、今度はスムースに別の机に書類は移動する。 又その机に行って再度何がしかの潤滑油を塗って.、の繰り返しとなる。 この国で重要なのは 「どうすれば良いかの手順を知る事」ではなく、「誰を知っているか」が一番大切だ。即ちKnow How では無く Know Who である。 フィリッピンだけに限らず途上国、中国も含めては全てこの方式である。 その役所の偉い人と知り合いに成るか、国会議員のダレソレの紹介(勿論彼らにも潤滑油は必要)と言うと嘘みたいに今迄机の一番下に置かれていた書類がアレヨアレヨと言う間に動き出して瞬く間に一件落着となるしだいだ。 ことほど左様に賄賂は下級職員から国会議員に至るまで浸透しているのがフィリッピンの現実なのだ。 小生、運竹斎の知人で四十年以上も法廷闘争をしている人が居る。 一昨年最高裁の判決で勝訴した。 普通はこれで御仕舞いの筈なのに負けたほうが二億ペソの金を判事にばら撒いて再度下級裁判所に差し戻しの判決を得て裁判のやり直しを勝ち取ってしまった。 知人はこの国の正義はペソだ、ペソを持っている者が正義の全てである、と嘆いていた。 我々外国人の間ではリンカーンのゲチスバーグ アドレスを捩って フィリッピンの民主主義は Government of the people、 by the people and for the people では無く Government of the rich、by the rich and for the rich だと揶揄している。 
しかし 日本の現実を見ているとこの国の現実を笑って居られない情けない状態なのだ痛感した次第です。

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フィリッピンの日々。  その 二

2008/07/21 21:35

 

先回はフィリッピンの衣食住に付いて愚見を述べましたが、最初から題目を決めてかかると肩の荷が重いのでこれからは思いつくまま書くことにします。悪しからず。
最近の日本のニュースを見ていると日本は年寄りにとって大変住みにくい様に思えますが。 フリーカメラマンが母親を殺したり、看護疲れの娘が親を絞め殺したり、かと思うとおじいちゃんが孫を殺したり。 年よりも孫も安心して寝ていられない世の中になってしまったのかと思うと悲しく、切ない気がします。戦後の日本は貧しくても親子、お爺ちゃんお婆ちゃんが肩寄せ合って小さなちゃぶ台を囲んで一つの皿から箸で少ないおかずを分け合って生きていた記憶があります。 その頃は今の様な殺伐とした雰囲気は無くみんな貧乏を笑い飛ばしながら生きていました。  
フィリピンは正にそんな雰囲気です。 我が家の周り見ると結構お年寄りが多く皆生き生きとしています。 孫がお婆ちゃんの手を引いて散歩に付き合ったり、トライシクルと言う、謂わばバイクの輪タクにお年寄りを乗せて街のスーパーに買い物に行ったり。お年寄りは決して疎外されていません。 勿論単純に比較は出来ませんが結果だけを見るとフィリッピンの方が断然住みやすく、人間的な生活が出来ると言い切れます。 皆が貧乏だから日本のように、やれ、レジャーだ、 ファッションだ何て事は考えもしません。 それでは何を楽しみに生きているのか、と聞かれれば答えは簡単、生きている事自体が愉しみであり、その中で自分の楽しみを探し出して生きていく、これがフィリッピン流の生き方です。 年に一度のフィエスタと言うお祭りは各家庭が料理を作って親戚、知人を招待して飲んで、食べて、それだけですがフィリッピン人の楽しみの一つです。その他、誕生パーティー、 成人式(十八歳の女子)パーティー、 金婚式パーティー等、月に一度はパーティーが有るくらいパーティー好きです。 年寄りも一緒になってパーティーを愉しんでいます。 小輩も今月は三回パーティーに呼ばれ、あと二回予定が残っている状態です(結婚式、洗礼式)。 洗礼式は一応God Fatherとして出席します。 パーティーに呼ばれても日本のように何万円もする引き出物は必要ありませんせいぜい数千円の送りr物を買って済ませてしまいます。 着て行く物も先回書いたようにT-shirt Jeansで結構。(God fatherの場合はバロンタガログを着るーせいぜい五千円も出せば買える代物)。 バロンタガログとはパイナップルの葉の繊維で作ったフィリッピンの正装のシャツです。
ここまで書いた時に又娘が父親を刺し殺したニュースが飛び込んできた。 殆ど毎日この様な、昔なら尊属殺人と呼ばれる事件が連日起こっている事自体異常と思えるが日本の政治家は一体どう考えているのだろうか、経済、外交だけが政治だと思っているように見えるが、一番反省しなければならないのは政治家の筈だが余り政治家がこの様な事件に意見を述べたのを見た事も聞いた事も無い。 政治家にまつわる話はカネの話ばかり。 フィリピンでは目上の者を敬う風習が徹底しておりこの様なニュースは聞いた事も無い。 万一そんな事が起こったらその子供は一生他人から排斥されて社会に受け入れてもらえないだろう、と言う事も子供自身も知っている、それが躾けという物なのだ。 今の日本には躾という言葉さえ無くしてしまったのだろうか。
先日初めて日本へ行ったアメリカ人の友人がフィリッピンへ戻ってきたときの感想。 
「オイ!日本では昼間から若い娼婦がたくさん居るナ」 
「そんな事は無いヨ」
「昼間電車に乗ったらミニスカートを穿いて電車の中で化粧をしていたゾ」
「それはたぶん高校生だヨ」
「高校生がそんなことするわけ無いだろう、もし高校生なら何故学校や親がそういうことを許すのだ」
「イヤ あれが制服なのダ」
こんな会話が取り交わされた。 昔はひざが隠れるスカートを穿いていたはずなのだがいつの間にか下穿(パンティー)きが見えるようなユニフォームになってしまった。 子供の要求を何でも受け入れるのがもの判りの良い大人だと勘違いしている馬鹿な大人が増えてしまったのだろう。 従って躾なんていうものは無くなってしまった。 少し気の利いた大人なら子供がなんと言おうが正しいものと間違っている事をわきまえさせる思慮があるはずだ。 ついでに言っておくがアメリカでも何処でもあんな制服を採用している学校なんて無い、有ったとしても最低の学校だ。 フィリッピンであんな格好で学校に行ったら即着替えて来いと怒られる。学校と言うところは勉強する為に行くところであって娼婦のまねをする為に行くところでは無い。 こういう事を書くと 「このオジン遅れている」 と陰口をたたかれるがそんな事は屁とも思わない、今からでも遅くは無い、教育者、親は良識を取り戻して欲しい。 小生の友人が勘違いした様にアメリカの兵隊でも勘違いするだろう。そして事件が起こる。 一概に兵隊を非難する事も出来ないのではないか、その前に事件が起こらないよう普段の服装、態度を改める事にもっと気を使って欲しいものだ。 

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フィリッピンの日々。

2008/07/15 19:37

 

新参者の運竹斎です。
フィリッピンに住んでおよそ9年になります。 その間見てきた事、体験した事等を時々書いて見ようと思っておりますがどの位続くやら。
運竹斎(小生)は日本を離れてかれこれ四十年に成りますがその間勿論日本にも度々帰って居り決して日本を忘れたわけではありません。 しかし日本を離れてわが国を見るのは大変勉強になります。 日本が如何に素晴らしいか、如何に駄目かがよーく解かります。 しかし何処の国に居ても言える事は日本の常識が世界の常識ではないという事です。 これから外国を目指す人はこの事を肝に銘じてくrださい。 何か事が起きると直ぐに 「日本では、日本では....」 という人は外国では受け入れられないだけではなく余計なトラブルを引き起こします。 さて前置きが長くなりましたがフィリッピンの良いところから入りますか。
フィリッピンの良いところはたくさん有りますが、当たり障りのない自然の良さに付いて今日は書いてみたいと思います。
運竹斎の住んでいるところはマニラから約百キロ南に離れたところに住んでおります。周りは緑が十分以上に残っていてそれでも街までは徒歩十五分程で行けます。ゴルフ場も三箇所有りゴルフ好きな人なら堪らない環境でしょう。 標高が五百メーター有るので風は涼しく一年を通じてクーラーは必要有りません。 大気汚染もなく、騒音は少しありますが(バイクのエンジン音)余り気になりません。 そして周囲に住むフィリッピン人も大抵はフレンドリーです。 そんな環境なので最近では外国人も数多く住むようになりました。 アメリカ人、 イギリス人、 オーストラリア人、 ニュージランド人 etc.
住環境はそんな訳で申し分ありません。 食環境に付いて言えば、食材は三日に一度街の市場に買出しに行きます。 日本食は有りませんが買ってきたマグロ(大抵はキワダマグロ)のハラミ(中トロ)を買ってきて刺身を作ったり、 カツオを買ってきてタタキを作ったり、 セロリ(少々硬すぎ)を買ってきて佃煮を作ったり、たけのこを買ってきて煮炊きを作ったりして苦労はありません。 野菜類は大体が硬いのが難といえば難です。
街には本格的な日本食は無いので、白菜の漬物も自分で作るしか方法がありません。 順番が最後になりましたが、衣類は実に簡素で日本のように季節に合わせて揃える必要は無く一年中上はT-shirts、 下はJeans で何処へでも行けます。冠婚葬祭もこのスタイルでOK。 半ズボンでもOkですが蚊に食われるのを避ける為運竹斎は長ズボンを愛用しています。 今回は第一回目という事で 衣食住 に付いて簡単に書いてみました。 読んでくれる人が一人でも居れば参考にしてください。 

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北京オリンピック

2008/07/14 21:25

 

北京オリンピックの記事を読んでいると戦前(私は知らないが)のベルリン オリンピックのヒットラーの国威発揚の為のオリンピックを想像してしまう。 そんなオリンピックにはぜんぜん興味は沸かないしましてやわざわざ行って嫌な思いをしようとは思わない。 食の危険、 大気汚染、 海洋汚染、反日行動、地震の危険、まー、それでも行く人はいるだろうけど 自己責任で高いお金を払っていくほどのものではないと思う。
中国は何回かいったことはあるけれど、個人的には良い人は居るが個人と政治は別物という事を嫌というほど見せ付けられた。 物には二面があり政治の面から見れば一番嫌いな国の一つだが、親しくなった中国人は、政治が悪い反面却ってよく見える。 オリンピックに行く人にその良い半面を見てきて頂きたい。 
                                        運竹斎

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